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腰を打って、考えた [健康]

ある建物の外階段。
普段あまり使われていないらしくて、ところどころクモの巣が張っていた。
私はクモの巣が顔にかからないように気をつけて階段を上り、用事を済ませて、降りにかかった。

ゆっくりと降りて、踊り場に来た時、足下が急に氷のようにつるつるとして、あっと言う間に私は見事に足をすくわれていた。

右足が空を向き、左足も、身体を支えきれずに右足に従って地面を離れて行く。
お笑いコントの、バナナの皮ですべる様子に、そっくり。

次の瞬間、コンクリートの床に、背中とお尻を強打していた。

頭は無事。両手は、しっかりと一眼レフカメラを抱えていた。(どうやら、自分の身体よりもカメラの方が大事らしい。)カメラは、私のお腹の上で、二度か三度、ぽんぽんと弾んだ。
息が止まるほど腰が痛くて、「折れた!」と思った。

ここまではスローモーションのように思い出せるのだけれど、そこから先はよく思い出せない。

「あ〜」とか「う〜ん」とか、叫びと苦痛のうめき声をあげたはず。

とにかく痛いのだから、助けを呼びたい気持ちと、こんなすごい格好でひっくり返っているのだから、誰も来ないで!という気持ちと、半々。でも、過疎な建物なので、幸か不幸か誰も気がつかない。

コンクリートの上に「藻」のようなものがついて、さらにその上に土が溜まって、黒くなっている場所だった。見た目はただの汚れたコンクリートなのだが、実はぬるぬる。(こんな地雷みたいなのを、非常階段に作らないで!)

やっと立ち上がって打った場所を確かめると、とにかく腰が痛い。あとは、服が汚れただけ。傷も無い。

動けるから、骨折はしていないのだろうと思いながら、念のために持っていた薄手のコートを寒くもないのに羽織って、べたべたの背中とお尻を隠しながら、ヨロヨロと帰ってきた。

お風呂でよく見ると、何の痕跡も無い。青くも赤くもなっていない。ただもう、何をしても痛い。

私は反省した。
熱帯から帰って、やれ暑いの寒いの、乾燥で咳が出るの、お腹がもたれるの、と、このところ私は不平ばかり言っていた。でも、そんなことも、この腰の痛みに比べたらなんでもないような気がしてきた。

世の中いろんな不快なことがあるが、「痛み」は、その他のいろんな不快感に比べても群を抜いている。「痛い」病気にかかっている人、「痛い」がどうしても治らない人。そのような人たちに、心から同情した。

やさしくしてもらえるかと期待して息子にこの話をしたら、かえって怒られてしまった。
もういい年なんだから、少しは注意をしろ、と。息子の言うことももっともだ。

背骨でも折れたら、半身不随。腰骨だって、しばらくは動けないわけだ。
それ以上に、頭を打ったら怖い。(これ以上の変わり者にはなりたくない。)
自分の息子が、20代独身で、会社に勤めながら母親の介護者になるというのも、ちょっと不憫だ。

あんなぬるぬるの階段は反則だとしても、突発的に自分の身体を支える筋肉はどうしたって衰えて行くのだから、年長者らしく身を慎み、注意深く暮らさなくては、などと思います。

でも、せっかち、おっちょこちょい、近眼、思い立つとすぐ行きたくなる、その他もろもろの欠点は、一朝一夕では改まりそうもありません(はあ〜、とため息)。






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